歴史について

《創刊》

 一九一四(大3)年四月、尾上柴舟(おのえさいしゅう)岩谷莫哀、石井直三郎を中心に

創刊。なお、これ以前に若山牧水、前田夕暮らが柴舟を中心に車前草社(しゃぜんそうしゃ)を

結成するがそれぞれ雄飛し、莫哀、直三郎は第二次「車前草」に参加、おもにこのメンバーに

より「水甕」は発足する。
《歴史》
 落合直文のあさ香社より出発した柴舟は、叙景詩運動をしたり、「ハイネの詩」の訳や

「短歌滅亡私論」(「創作」一〇・一○)を発表したりと、当時の文芸思潮を先取りし

てきた。その活動のもとに集まつた門弟たちが創刊した「水甕」には、自由な精神の流れ

があった。作風も「おのがじし」「和而不同」(和して同ぜず)と、各々の個性を尊重して

いる。とくに創刊時は、長谷川潔の表紙絵が異彩を放ち、赤木桁平、矢野峰人、出隆らの

詩や訳詩もあり、歌誌の枠をこえた編集である。大正期には、岡山巌、岡野直七郎、小泉

苳三、松田常憲らが論作ともに活躍、岡本かの子の出詠もある。昭和期に入り、加藤将之

熊谷武至、河合恒治、松原三夫ら、さらに山崎敏夫、日比修平と、モダニズムの歌人も輩

出、多彩となる。戦後は、新しい時代に応じ、リアリズムに思索を重ね、知的な歌境の開拓

をめざした。現在は言語学の新しい視点から、短歌の表現と読みについて、高嶋健一、

榛名 貢、春日真木子をはじめ、若手論客を中心に論じている。なお編集や発行面では、

大正期は東京で直三郎、莫哀がおもに携わり、莫哀没後は名古屋へ発行所を移す。二七年

より直三郎、常憲が編集。三〇年より発行所は松田家に移り、三八年、常憲とともに東京へ

移る。主幹は柴舟没後、常憲、将之、武至と継ぎ、八三年より運営委員会制、二〇〇四年

からは代表の下、選者会と編集会を両輪とする現在の運営体制に移行した。
《特色》
 昭和前期は、国文学、古典、近代短歌の研究にカを注ぐ。『新古今集』研究、明治・大正

短歌研究、同評釈と、大冊の特集を重ねた。他に、熊谷武至「歌集解題餘談鈔」は
、
戦前より四〇〇回をこえて連載。松田常憲「あさ香社の研究」、藤田福夫「近代短歌

の研究」、加藤将之「哲学ノート」等の連載もあり、常憲の「長歌」掲載は特異であった。

 記念号では、柴舟の「短歌滅亡私論」を追求、先師の作品研究を現代の目で読み、再評価し

ている。また、実作に結びつく論点を設け、リレー評論を重ねる。
《参考文献》
「水甕五〇年史」「大正期復刻版特集」「創刊一〇〇〇号記念号」(「水甕」六三・五、

八一・八、九七・八)

                                 
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